都会の寓話・いねむり坂の女主人・その2

いねむり坂の女主人・その2

さて、ぼくは「いねむり坂」をのぼって行く中ほどで、

ある喫茶店を見つけました。

近くに古い朽ちた庚申塚があります。

この辺りがもしかして、

むかし行き来した旅人や馬追いや荷馬たちが、

野たぬき、野きつねの魔術で居眠りさせられたところかも知れません。

その喫茶店は洋館風の建物でした。

屋敷と言えるほど大きくはありませんが、

平屋建ての落ち着いた佇まいを見せています。

舗道に面したひさしつきの窓が三か所あります。

レースのカーテン越しに客人らしき姿があるので、

その部屋が店内のようです。

屋根は赤茶色の屋根瓦ですが、

ところどころ崩れていて修繕の必要があるようです。

外壁の漆喰もまだらに変色していて、

野生のツタが無精ひげのようにはりついています。

煙突もちょっと右に傾いていて、

そのてっぺんから灰色の煙がたなびいています。

いつごろ建てられたかはわかりませんが、

あの大きな戦争を越えてきているのは間違いないでしょう。

建物は人間と同じです。

黙っているが、いろいろな表情を見せてくれるものです。

それは住人との相性もあるかもしれません。

暗い表情をした家を見ると、

住人とうまくいっていないのだな、と想像させます。

さて、この喫茶店はどうでしょうか。

店の玄関口まであがる古い石段の通路には花壇が並んでいて、

秋の花々がまだ枯れずに残っていました。

玄関の扉は花模様のステンドグラスがはめ込まれた木製ドアです。

そのドアに店の名が書いてありました。

もう赤いペンキが剥がれていますが、

「喫茶店うたたね」と読めました。

脇にあるイーゼルに店のメニュー板がありました。

「当店の名物・美味しいココアとクロワッサン・食べ放題 500円」

メニューはこれだけです。

ぼくがこの喫茶店を訪れることになったのは、

「いねむり坂」に「うたたね」という古臭い喫茶店があって、

へんてこりんな客人が多く来ているようだ。

という友人の話しからでした。

『あのね。麻布の何処だったかな、

初めて車で行ったから道に迷ってね。

捜しているうちに「いねむり坂」を登っていたんだ。

居眠りするほど長い坂じゃないよ。

ただ傾斜はきつそうだったな。

その坂の途中で見つけたんだ。

あの日は暑かったし、道に迷ったから喉がカラカラさ。

「うたたね」っていう喫茶店があったから、

何の気もなく「ごめんよ」って入ったわけさ。

店に入るとね、ここはただの喫茶店じゃないな、「ピン」ときた。

なにしろ変わった客があちこちにいるんだよ。

店の女将も変わっていたな。

そうそう、メニューはココアとクロワッサンだけだが、

これが絶品なんだな。

まあ、へんてこりんな喫茶店だが、

一度行ってみるといいな。

おれは二度と行きたくないが、

変人のお前ならハマるかもな』

変わった客と女将。

それに絶品のココアとクロワッサン。

変人の好奇心は募りました。

この日は小春日和の暖かな気候でした。

友人は車の通りがかりに見つけたので直ぐに行ける話しぶりでしたが、

徒歩のせいもありましたが、

まず「いねむり坂」を探し当てるのにひと苦労しました。

目的の喫茶店を見つけた頃には、

ひと汗かいていたので坂道を吹きぬける北の風は心地よく、

むかしの旅人が味わった心地良い風は、

こんなかな……と思いました。

でも、居眠りはしませんでしたが。

もう午後の二時を過ぎていたでしょうか。

軽くドアの取っ手を回しておすと、

チリチリ、チンと銅製の呼び鈴が恥ずかしそうに鳴ってドアは開きました。

もう、引き返すわけにはいきません。

上がり口にはスリッパがそろえてあります。

これにはきかえて上がるようです。

上がり場の右が喫茶室、

左が調理場で、

正面奥の突きあたりは家主の部屋のようです。

「お客様はご遠慮ください」

と書いたパネルがドアの取っ手にかけてありました。

喫茶室に入りましょう。

ちょっと見たところ、応接間だった部屋を改装したようです。

インテリアは、西洋皿を飾ったガラス棚、

日本の古い階段箪笥、中国製のランタン、アフリカ製の木彫、

東南アジアの竹細工、インド製の壁掛け絨毯などなど和洋さまざま。

植木もあります、

黒松の盆栽、胡蝶蘭、サボテンの花などなど。

それらの調度品の中に客用のテーブルとイスが配置されているのです。

店長さんは奇妙で多彩な趣味をお持ちのようです………。

どのテーブルにも客はいるのに会話が聞こえてきません。

音楽も流れていません。

耳に聞こえるのは坂道を通過する車の音か、

どこかから聞こえる工事現場の音ぐらい。

それでも人間の緩やかな呼吸を感じるのはなぜでしょう。

だいぶ色あせた淡い花模様の壁紙のせいなのかな………。

パチン!

と燃える薪の跳ねる音がきこえました。

どこから聞こえるのかと、店内を見回したら、

西向きの壁際にあるレンガ造りの頑丈そうな暖炉ありました。

その中でちょろちょろ薪火が揺らめいていました。

人間がいる!

その時です。

『いらしゃいませ!』

よく通る老人女性の声がしました。

暖炉の側にあるカウチから、

小柄でやせた老婦人が立ちあがりました。

編物中の手をやすめて、

にこにこ笑顔でこちらを見ています。

午後の日ざしが、亜麻色の髪を金色に染めています。

『ようこそ。どうぞ、どうぞ』

ちょこちょこ小走りでやってきて、

ぼくの手をぎゅっと握りました。

『うたた寝していたので、気がつきませんでしたよ。

私はこの店の女主人ジェンヌです。どうぞよろしく!』

かわいい外国訛りですが、流ちょうな日本語でした。

少し丸くなった背をのばして、

ぼくを見あげた青い目が笑っています。

瞳が宝石のようにキラキラ輝いています。

高いかぎ鼻に丸い老眼鏡がちょこんとのっかっています。

『混んでいるようなので、また来ます……』

ぼくが尻込みしていると、

ジャンヌさんは驚いたように目を丸くして言いました。

『いいえ、いけません。

初めてのお客さまは誰でもびっくりしますよ。

さあ、みなさんをご紹介しましょう』

ジャンヌさんはぼくの手を脇に抱えて近くのテーブルへ連れて行きます。

そこには若い女性客がぼんやり坐っていましたが、

『ごめんなさい、マリアさん。席を譲ってね』

とジャンヌさんはいうと、

驚いたことに軽がると抱えあげて隣の席に移したのです。

さらに驚いたことに、

マリアさんは等身大の人形でした。

デパートなどの服装売り場で見かけるマネキン人形なのでした。

落ち着いて見れば直ぐにわかることなのに、

ぼくは人間がいるのが当たり前と思っていたから勘違いしていたのです。

それに午後の日ざしが西に傾いたので、

室内がうす暗くなっていたせいもあります。

『びっくりしましたね!』

とジェンヌさんは得意げにいって腕組みをしました。

『マリアさんは悩むことが好きな娘さんです。若いから何でも悩みます。

今は微妙な恋に悩んでいますから、そっとしておいてあげましょうね』

この老女は何を言っているのだろう。

本気なのか芝居なのか、

ぼくはジャンヌさんの顔をまじまじと見てしまいました。

そうか、これが友だちの言っていた

「へんてこりんな喫茶店」のことだと理解しました。

それにしても、この老女はお芝居が上手です。

これは面白い。

でもこの場の雰囲気、老女の芝居に、

うまくお相手できるか心配です。

別の席では若い男女が楽しそうに語り合っています。

もちろん、これもマネキン人形でした。

『ロメオくんとジュリエットさん。

二人は恋人同志でしたが、

今日は悲しいお別れの話をしているのです。

ごらんなさい、

ジュリエットさんはとてもかなしそうな顔をしていますね。

かわいそうに………』

ジャンヌさんは丸い老眼鏡をはずすと、

エプロンで涙をふいて、

ついでに大きな音を出して鼻をかみました。

ズズズー、ズズズー!

ぼくから見ると、

ジュリエットさんは悲しんでいません。

さっきから楽しそうに軽く笑っています。

『あのう、楽しそうに見えますが……』

とぼくは言ってしまってから、

しまったと後悔しました。

ジャンヌさんの表情が険しくなったからでした。

『楽しそうに見えますが、心ではとても悲しんでいます』

それから声を落として、

『じつは、ロメオくんに新しい恋人がでたのですよ。

それをジュリエットさんに打ち明けているのです。

酷いことですね。

そのお相手は……、ほら、あのお客さまですよ、カビリアさんです』

坂道が見える窓辺に喪服の女性がいました。

傷心の面持ちで外を眺めていますが、

意識はロメオさんにあるのがはっきりわかりました。

喪服からはみでた豊かな胸、

丸太のような露わな太股、

どぎついアイシャドウ、真っ赤な口紅、白塗り厚化粧。

カビリアさんはただ者ではないと感じました。

ぼくはやっとこの場の雰囲気(お芝居の舞台)に慣れてきたようです。

ジャンヌさんは深くため息をついていいました。

『あの素敵なスタイルで大金持ちの未亡人ですから、

ロメオくんが誘惑されるのは仕方ありませんね。

男とはそういうものです。男って……!』

ぼくをちらっと見ました。

怖い目でしたが、すぐに前の穏やかな表情に戻りました。

『さて、何を召し上がりますか?』

『美味しいココアとクロワッサン、食べ放題を下さい!』

ぼくは快活にと答えました。

『はいはい、美味しいココアとクロワッサン、食べ放題ですね!』

ジェンヌさんは顔いっぱい笑顔になって、エプロンで鼻を大きくかみました。

ズズズー!

ぼくは別の窓辺の席にいる女性を見つけました。

青銅の子猫を撫でながら、こっちを見ています。

思わずぼくはジェンヌさんに聞きました。

『ジェンヌさん、あの方は?』

『ジュンコさんよ。活発なお嬢さん。実は女ジェームス・ボンドなのです』

『それはすごい!』

『あのマリアさんの恋人です。ときどき目を合わせているでしょ。

深く愛し合っているのですよ』

二人は別に目を合わせてはいません。

そっぽを向いたままですが、

女性と女性の興味深い関係と睨みました。

『なるほど……、微妙な恋なのですね』

『そう。なるほどなのです。

ほかに、あちらはマサコさん、ダイアナさんとヒミコさん、

ハンスさん、ヒトミさん、クミさん、

まだまだあちこちにいらっしゃいますよ。

でも、詳しいご紹介はあとにしましょう。ああ、忙しい忙しい!』

ジャンヌさんは嬉しそうに調理室に行ってしまいました。

ぼくはジュンコにかるく会釈しました。

ちょっとキザな役者さんみたいに。

すると、ジュンコさんは笑顔で応えたのです。

『笑った!』

驚いたぼくに、ジュンコさんは人さし指を唇にあてて、

『シーッ!』

ジュンコさんは人形ではありません。人間のようです。

いったいどうなっているんだ、この喫茶店は!

ぼくはジュンコさんが動いたのを知らせるために、

いそいでジャンヌさんのいる調理へ向かいました。

その3へ続く…

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