都会の寓話・いねむり坂の女主人・その1

いねむり坂の女主人・その1

東京は坂道の多いところで、

坂道の愛好家が六百か所まで訪ね歩いたが、

まだたくさん残っていたので呆れたと聞いたことがあります。

坂道にはそれぞれ名称が付いていますが、

それぞれの地形にちなんだ名が多いようです。

女坂に男坂、幽霊坂に暗闇坂、牛鳴坂に猫又坂、

まむし坂にむじな坂、瓢箪坂に団子坂などなど、

名称だけでどんな坂だったか由来が想像できます。

地域の歴史と人間の営みを想い起こさせます。

これからご紹介する「いねむり坂」というのは、

東京の麻布という地域にある坂道です。

その登り口の前に「いねむり坂」の案内板があるのですぐにわかります。

ぼくはその案内板の前に立っています。

案内板には「いねむり坂」の簡単な由来が載っているので読んでみます。

「案内板・いねむり坂の由来」

「その昔このあたりは麻布の狐狸村といわれて、

たくさんの野たぬきや野きつねが生息していました。

ある旅の商人がこの坂道を登っていると、

急に眠くなってそのまま眠ってしまいました。

ところが、夢の中にこの坂に生息する野たぬきや野きつねが現われて、

寝ている旅人の荷物を奪ってしいました。

やがて旅人が目を覚ますと、

なんと旅人の荷物はそのまま残っていたのです。

そんなことがたびたび起こるので、

いつしか「いねむり坂」と言われるようになった。

詳しい物語は地元の図書館にある

「風説武蔵野郷土史」の中に掲載されています。」

と書いてあります。

ぼくはさっそく地元の図書館に行ってみました。

「風説武蔵野郷土史より、狐狸村の「いねむり坂」の由来」

それは、今は昔のことでした。

狐狸村の外れにある坂道を登る一人の旅の商人がおりました。

この日は小春日和で汗ばむ陽気でした。

しばらく登ると、庚申塚が見えてきたので、ひと休みすることにしました。

木漏れ日が風にサワサワ揺れて、心地いい風が吹いてきます。

甘い花の香りも漂ってきました。

「ああ、いい風だ。なんて甘い香りなんだ………」

商人は地蔵さまの傍らでほっと汗をぬぐい、ウトウトしだしました。

ふと、商人は村人たちの言葉を思い出しました。

“あの坂道で気持ちいい風と甘い花の香りがしてきたら気をつけなさい。

うとうと眠ってしまうと、その間に野タヌキや野キツネたちに悪さをされるよ’’

それをぼんやり想い出したので、ハッと目を覚ましました。

「いかん。眠ってしまった!」

慌てて起きようとしますが、どうしたことか動けません。

大きな目、大きな口を開けたまま、商人は身動きができなくなりました。

「これは困った。グウグウグウ………」

どこかでイビキが聞こえます。それは商人のイビキなのでした。

「わたしは寝ていない。助けてくれ!」

と叫んでいるのですが、それは声にならず、誰にも聞こえません。

チリン、チリン…と鈴の音がします。

パカ、パカ、パカ…と馬の蹄の音も聞こえてきます。

下り坂から、二人の馬追いが降りてきたのでした。

米俵を背負わせた六頭の荷馬を引き連れています。

「ダメだ、来るな。戻れ。引き返せ、引き返せ!」

と商人は叫びますが、馬追いたちには聞こえません。

何も知らずどんどん降りてきます。

やがて、商人の前に差し掛かると、木漏れ日が風にゆれ、

甘い香りが馬追いたちに襲いかかったのでした。

「ああ、危ないぞ。寝るな、寝るな!」

と商人は叫ぶのですが、もう遅かったのです。

馬追いと荷馬たちは立ったまま眠ってしまいました。

「ああ、眠ってしまった…」

すると、庚申塚の後ろの雑木の林が、ガサガサ、ガサガサと物音がして、

突然、数十匹の野タヌキと野キツネ集団が、雑木の林から飛び出てきました。

ギャアギャアわめきながら、それは騒々しかったそうです。

これを村人たちが言っていたのでした。

「起きるんだ。タヌキとキツネに襲われるぞ!」

と商人は必死に叫びますが、声にはなりません。

タヌキとキツネの集団は仲良く手分けして、商人の荷物に襲いかかる集団と、

荷馬の米俵や、馬追いの弁当を奪う集団にわかれました。

馬追いと荷馬たちはどうしようもありません。されるがままです。

アッという間に、タヌキとキツネの集団は奪った米俵や荷物をかついで、

ギャアギャアわめきながら雑木の林の奥に消えてしまいました。

「困ったな、どうしよう………」

 商人は困り果てて、まだ目を覚まさない馬追いと荷馬を見守ります。

すると…。

ザワザワと木漏れ日が強い風に揺れ出しました。

チリンチリンと馬の鈴が鳴りました。

商人の表情がゆるみ、目がパチパチと動きはじめました。

ふしぎな眠りが解けたのでした。

「ああ、動ける。声が出る!」

馬追いや荷馬たちも目を覚ましました。

商人はほっとして、固まっていた身体のコリを治していると、

自分の荷物が元のままあることに気がつきました。

馬追いの弁当や米俵も元のままにあります。

馬追いと商人は顔を見合せて笑いました。

「ハハハハハ!」

「ヒヒーン、ヒヒーン!」

荷馬も喜んでいななきました。

これが、村人たちのいう野タヌキと野キツネの悪戯なのでした。

そのうちに商人は何だか寒気がして、頭が痛くなりました。

馬追いも荷馬もブルブル震えて困っています。

「さあ、ここから速く引き上げた方がよさそうだ」

商人と馬追いたちは苦笑いしながら上と下に別れて行きました。

こんなことが続いたので、

いつしかこの坂を “いねむり坂” と言われるようにました。

因みに、村人に伝わる眠らないお呪いを教えましょう。

「この坂道で気持ち良い風が吹いて甘い香りがしてきたら、

直ぐに大きなくしゃみを三回して、

手の平で鼻をこすり上げてください。そうすれば安心です」

さて、現在の「いねむり坂」はどうでしょうか

きれいに舗装された道幅の狭い坂道で、

自動車なら十秒もかからないで登りきってしまいます。

周囲に雑木林らしきものは見あたりません。

近代的なビルやマンションが立ち並んでいて、

野たぬきや野きつねが顔を出したなど想像できません。

心地良い風、甘い香りも漂ってきません。

そんなことはわかりきったことです。

想像した通りの現実です。

ぼくが「風説武蔵野郷土史」を読んで、ここに来る気になったのは、

現実の「いねむり坂」の中

昔話の「いねむり坂」を再現することです。

しかも現代版の楽しい物語りに……。

そんなことができるのか?

できますとも。

さあ、どんな野タヌキや野キツネが出て来るかお楽しみに!!

その2へ続く…

芋幹七十郎

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