第二章・おいらのアルバイト遍歴・そのⅡ

そのⅡ・牛乳配達の顛末

おいら十三郎の中学生時代だったと思う。

おいらの家はとても貧乏だったし、

おいらは親孝行なガキだったから、

アルバイトをしようと決心した。

だがそれは嘘だ。

小遣いが少なくて大好きなチャンバラ映画が観られなかったこと、

学校で読んだ「新聞配達をしながら、貧しい家庭を助け、勉強に励み、のちに偉い人になった」

という偉人の本に感化され新聞配達をすれば偉人になれると考えたこと。

この二つが絡んでいたのが本音にちがいない。

でもおいらは賢いから、

母ちゃんを少しでも助けたいとか健気なことを言っただろう。

母ちゃんはたいそう喜んでくれたにちがいない。

そうして母ちゃんが見つけてきたのが、

牛乳配達だった。

おいらは新聞配達を希望したが、

どこも定員オーバーだったらしい。

おいらみたいな魂胆をいだいたガキが多かったのだろう。

翌日から行くことになった。

おいらとしては、

心の準備が必要なので数日の有余を求めたが、

牛乳配達店は直ぐにでも来てほしいとのことだった。

翌日の朝、四時であった。

真っ暗な四時だよ。

昨日までなら夢の中の時間だ。

初春の寒い朝だった。

おいら後悔し始めていたろう。

よせばよかった。

だが母ちゃんはおいらの手をぎゅっと握って離さない。

四丁目の郵便局の隣の牛乳配達店が見えたときは、

不貞腐れていたに違いない。

店長のおじさんやおかみさんは優しい笑顔で迎えてくれたよ。

これでおいらはあとに引けなくなった。

牛乳配達用の自転車は商業用でとてもでかく重かった。

初日は配達先を覚えるために、

おじさんの後ろにくっついて町内を回った。

契約した各家の玄関の横や塀にかかった牛乳箱の中に

注文された一合牛乳瓶(180ml入り)を置いて行くだけの仕事だ。

日頃あそび回っている地域なので簡単に覚えられた。

配達店に戻ると、

おかみさんは朝ごはんを作って待っていてくれた。

四人ぐらいの配達員と一緒に食べたが、

みんなおいらより年上の屈強なお兄さんばかりだった。

おいらがご飯を食べて帰ろうとすると、

あるお兄さんがアメリカのチューインガムをくれたな。

こうやって膨らませるんだ。と言って

噛んでいたフーセンガムを膨らませて見せた。

ぷわっと大きくなって直ぐにしぼんじまった。

おそらくアメ横あたりで買ったんだろうが、

どんな味だったか覚えているわけがない。

別れぎわに、「明日から頑張れよ」と言われた。

後で耳にしたんだが、

そのお兄さんは予科練崩れの不良だったらしい。

何でおいらにガムをくれたんだろう。

仲間にしようと思ったのかな。

次の日は本番だ。

おいらだけで出かける。

昨日はおじさんの自転車と分けて牛乳瓶を配達したが、

今朝は後部荷台に牛乳瓶二六本入りケースを一箱のせ、

バランスを保つためにハンドル前の荷籠に十本ぐらいの牛乳瓶を入れた。

慣れたら二ケースにすると言われた。

それだけギャラがアップするわけだ。

さあ、出発だ。

初めは意外に重い牛乳瓶にハンドルを取られて

フラフラ危なっかしかったが、

しばらく乗っていると楽に進めるようになった。

自転車は二輪車だから、平坦な道はなんとか進めるが、

坂道の登り降りはバランスが難しい。

冷や汗が出るほど緊張したな。

そして運命の東武線の踏切前にきた。

その踏切は少し上り坂の上にあった。

おいらは自転車から降りて手押しで渡ることにしたんだ。

危なっかしい足取りでやっと線路の所まで来た。

さあ渡ろうとすると、

チンチンチンと遮断機が下りる合図の警告音が鳴り出した。

おいら焦った。

通り過ぎる人たちは、

「早く渡れ!」と口々に言うんだが、助けてはくれない。

おいら渡るのを止めて戻ることにした。

なぜか判らない。

怖くなると性格的に前に進むより、

猫みたいに後ろに下がるのが好きだったのかな。

おたおた自転車を後ろに下げ出した。

ところが自転車ってやつは前進走行しかできない。

ハンドルも前にしかない。

だからおいらが後ろに戻りたいと命令しても、

素直においらの言うことを聞かない。

おいらは焦ったね。

まあ何とか遮断機が降りる前に車道に戻れたが、

ガタンとずり落ちた。

後ろ車輪が下水路にはまってしまったんだ。

自転車とおいらは動けなくなった。

車体が傾きだす、

牛乳瓶が一本、二本、三本と道路に落ちて行く。

ガチャン、ガチャン、ガチャン………。

おいらハンドルを握ったまま、

それを見守るほかなかった。

ハンドルを放したら、

おいらと自転車は横倒しになってしまうからだ。

不思議に、この後のことが想い出せない。

どうしたのか、どう処理したのか、

どうしても想い出せない。

その前のことは良く想いだせるのに。

このエピソードは、

おいらが三十郎の頃のノートに書いてあった雑文だ。

それを読んで、ちょっとおいら流に脚色して、ここに掲載した。

この記憶は薄らとある。

牛乳を乗せた自転車が重くて走り難かったぐらいだがね。

踏切でどうしたのこうしたのなんて、

三十郎が想い出せないのだから、

おいらが想い出せるわけがない。

だがね、

ノートの雑文の余白に三十郎が書いた文句に考えさせられたよ。

ちょっとかっこつけた文章だが、

まあ若気の至りと思って読んでくれ。

以下のごとく。

「想像するに、おれは、

事故のあと踏切の現場から逃げ出してしまったのではないか。

泣きながら自家に帰ってしまったのではないか。

それを大いに危惧する。

もしそうだったら、

それが事実としたら………。

おれが想い出せないのは、

おれの記憶神経ルートを誰かが遮断して、

想い出さなくしたのかもしれない。

それは誰なんだ!

電話でおふくろに聞いてみたが、

おれが牛乳配達をしたことさえ覚えていなかった」とさ。

これを読んで、

おいら噴き出してしまったよ。

こいつ、かなり重い神経症だなってね。

まるでヒッチコック映画のミステリーもどきだね。

三十郎はこんなことを、

こんなに深刻に悩んでいたのか。

だがね、そのうちにおいら腕組みしてしまったよ。

うむむむ………とね。

そうだ、大事なことを忘れていた。

あの頃の牛乳一合ビンの値段は幾らだったのかな。

銭湯に入ったあとにのむ冷たい牛乳は格別だった。

火照った体に冷たい牛乳、

コーヒー牛乳、

フルーツ牛乳なんてものもあったな。

当時の封切映画館(邦画の新作映画館)の入場料が

大人で百五十円ぐらいだったから、

牛乳の値段は十円か二十円くらいかな。

芋幹七十郎

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